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永遠の眠り ②

مؤلف: 秋月 友希
last update آخر تحديث: 2025-12-31 15:04:12

 彼は直立したまま、身じろぎもせず、ただじっと眠る両親を見下ろしている。

 逆光の中で浮かび上がったそのシルエットは、影だけがそこに取り残されたように頼りなく、どこか不気味だ。

 その背中は、世界から切り離された子どものように小さい。

「石場……さん?」

 美咲が震える声で呼びかけた。

 石場は錆びついた機械のようにぎこちなく首を巡らせ、二人へ視線を向けた。

 懐中電灯の光がその顔を照らし出す。

 過去に向けられた、あの凍りつくような視線──

 その記憶が、反射的に美咲の脳裏をよぎった。

 光に浮かんだ石場の表情に、美咲は息を呑む。

 その瞳は焦点を失い、まるで遠いどこかを彷徨っているかのように虚ろだった。

 そこには感情の影が一切なく、ただ深い混乱と、呆然とした空白だけが漂っている。

 あの夜、追いかけてきた時の石場とはまるで別人だ。あの時は目に意志が宿っていた。怒りとも執着ともつかない、こちらを射抜くような視線──

 だが、今の石場には、その色が一片も残っていない。

 魂だけが、どこか別の場所に置いていかれたかのように……

 目の前の石場は、自分が知っている人間の輪郭だけを残した、別の何かに見える。

 美咲は思わず一歩後ずさった。

「……動かないんだ」

 石場は独り言のように呟き、再び視線をベッドに戻した。

 その声は震えている。

「声をかけても、揺すっても二人が動かない……」

 そう言って、石場は自分の両手を見つめた。

 そこには何も握られていない。血もついていない。

 だが、彼は本能的に悟ったのだろう。

 自分が何かをしてしまったことを、記憶にない空白の時間の中で、自分の中の誰かが、この静寂を作り出したことを……

「……石場さん、あなたがやったの?」

 リサが問う。

 石場は虚ろな目で首を横に振ろうとした。だが、動きは途中で止まった。

「……やっと眠ったんだ。父さんも母さんも、ずっと何かに怯えていたから、僕が楽にしてあげたんだよ」

 美咲の思考が一瞬、白く途切れる。

 楽にしてあげた?

 その言葉の意味を理解したくなかったが、目の前の現実は残酷だった。

 石場は殺意を持って彼らを殺したのではない。泣き止まない赤子をあやすように、怯える両親を永遠の静寂というゆりかごへ送ったのだ。

 それが彼なりの、歪んだ救済──

「エミリアにも、同じことをしたの?」

 リサ
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  • 失われた二つの旋律   エピローグ 雨上がりの旋律

     石場は糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちていた。 呆然と座り込む彼の手から、カラン、と乾いた音がして何かが床に落ちた。 それは、赤錆の浮いた古びた鉄の鍵だった。 リサの視線がその鍵に釘付けになる。 独特な形状。普通の玄関の鍵ではない。──土倉の鍵だ。「……美咲」 リサは震える声で呼びかけた。 警察には通報した。もうすぐサイレンが聞こえてくるだろう。 だが、待っていてはいけない気がした。 石場は言った。『彼女も連れて行ってあげた』と。 もし、エミリアがまだ生きていて、暗闇の中で助けを待っているとしたら……「行きましょう。……迎えに」 リサは床に落ちた鍵を拾い上げた。 冷たい金属の感触が、掌に痛いほど食い込む。 手遅れだとしても、彼女を一人で、あの冷たい場所に置き去りにはできない。 二人は動かなくなった石場と、眠るような両親を背に、雨音が弱まり始めた夜の外へと駆け出した。 * 外の雨は、いつの間にか小降りになっていた。 激しかった風が止み、世界は湿った静寂に包まれている。 リサと美咲は泥に足を取られながら、洋館の裏手へと回った。 闇の中に浮かび上がる土倉は雨に濡れて黒々と光り、巨大な生き物がうずくまっているように見える。 リサは震える手で鍵穴に鍵を差し込んだ。 ジャリッ、と錆びついた金属が擦れる音がして鍵が回る。 重い鉄の扉が、呻き声を上げるようにゆっくりと開いていく。 中から吐き出されたのは、ひやりとする冷気と、古い土の匂い── そして──完全なる静寂だった。 リサは懐中電灯のスイッチを入れると、光を闇の奥へと向けた。 光の帯が埃っぽい空気を切り裂き、床を這う。 古びた農具、積み上げられた木箱。 そして、その奥まった一角に──彼女はいた。「……あっ」 美咲が息を呑み、その場に崩れ落ちる。 エミリアは壁にもたれるようにして座っていた。 愛用のヴァイオリンを胸に抱き、目を閉じたまま……。 その表情は苦悶に歪んでいるわけでも、恐怖に強張っているわけでもなかった。 石場の言葉通り、穏やかで安らかな寝顔だ。 まるで、演奏会のあとに心地よい疲れの中で微睡んでいるかのように── だが、その肌は白く透き通り、生気というものが感じられなかった。彼女はもう、この世界の住人ではない。「……エミリア」

  • 失われた二つの旋律   永遠の眠り ③

     石場の目が、ふと遠くを見るように細められた。懐かしむような、けれど、どこか悲しげな目─「彼女の音は痛かった……」 石場は独り言のように呟いた。「彼女はずっと、心の中で悲鳴を上げていた。世界がうるさすぎると泣いていたんだ。……だから、彼女も連れて行ってあげたんだ。誰にも邪魔されない、あの静かな場所にね」 その言葉に美咲の手から力が抜けた。 バサリと音を立てて、楽譜が床に落ちる。 静かな場所…… まさか、さっき鍵がかかっていた、あの土倉のことだろうか? 美咲の脳裏に、雨に打たれる白い土倉の映像がフラッシュバックする。彼はあそこにエミリアを……「そんな……っ」 美咲はその場に崩れ落ちそうになるのを必死で堪えた。 救いたかったからこそ。 誰よりも共鳴していたからこそ。 彼女の苦しみを取り除く手段として、彼は彼女の時間を止めたのだ。『Kへの手紙』 その旋律は生者へのメッセージではなかった。死者へのレクイエムだったのだ。 激しさを増した雨風が、窓ガラスを叩きつける。その残酷な真実を、天が肯定するかのように── 突如、窓の外で強烈な雷光が走った。 寝室の窓が一瞬、真昼のように白く染まる。 遅れて、建物そのものが悲鳴を上げるような衝撃と爆音が炸裂した。 彼が作り上げていた完璧な静寂の世界に、暴力的な現実の音が侵入する。 その暴力的な音が、石場の鼓膜を叩いた瞬間── 石場の身体がビクリと跳ねた。 彼の顔から、先ほどまでの穏やかな救済者の表情が剥がれ落ちる。 代わりに浮かんだのは、怯えきった子供の顔── 夢遊病から覚めたように、彼の視線が急速に焦点を結び始める。 彼は荒い息を吐きながら、自分の手を見つめ、そして恐る恐る目の前のベッドを見た。 そこには動かない両親── 眠っているのではない。明らかに死んでいる物体として……「……あ……あ……?」 石場は後ずさり、喉の奥から獣のような呻き声を漏らした。 理解できない── なぜ、二人が死んでいるのか。 どうして、自分がここに立っているのか…… だが、否定しようとする彼の意識を嘲笑うかのように、指先が感触を思い出していた。 首を絞めた時の抵抗。 喉仏が潰れる感触。 次第に失われていく体温。 それは彼自身の記憶ではない。彼の中に潜む誰かが行った、残酷な救済の記録だ。

  • 失われた二つの旋律   永遠の眠り ②

     彼は直立したまま、身じろぎもせず、ただじっと眠る両親を見下ろしている。 逆光の中で浮かび上がったそのシルエットは、影だけがそこに取り残されたように頼りなく、どこか不気味だ。 その背中は、世界から切り離された子どものように小さい。「石場……さん?」 美咲が震える声で呼びかけた。 石場は錆びついた機械のようにぎこちなく首を巡らせ、二人へ視線を向けた。 懐中電灯の光がその顔を照らし出す。 過去に向けられた、あの凍りつくような視線── その記憶が、反射的に美咲の脳裏をよぎった。 光に浮かんだ石場の表情に、美咲は息を呑む。 その瞳は焦点を失い、まるで遠いどこかを彷徨っているかのように虚ろだった。 そこには感情の影が一切なく、ただ深い混乱と、呆然とした空白だけが漂っている。 あの夜、追いかけてきた時の石場とはまるで別人だ。あの時は目に意志が宿っていた。怒りとも執着ともつかない、こちらを射抜くような視線── だが、今の石場には、その色が一片も残っていない。 魂だけが、どこか別の場所に置いていかれたかのように…… 目の前の石場は、自分が知っている人間の輪郭だけを残した、別の何かに見える。 美咲は思わず一歩後ずさった。「……動かないんだ」 石場は独り言のように呟き、再び視線をベッドに戻した。 その声は震えている。「声をかけても、揺すっても二人が動かない……」 そう言って、石場は自分の両手を見つめた。 そこには何も握られていない。血もついていない。 だが、彼は本能的に悟ったのだろう。 自分が何かをしてしまったことを、記憶にない空白の時間の中で、自分の中の誰かが、この静寂を作り出したことを……「……石場さん、あなたがやったの?」 リサが問う。 石場は虚ろな目で首を横に振ろうとした。だが、動きは途中で止まった。「……やっと眠ったんだ。父さんも母さんも、ずっと何かに怯えていたから、僕が楽にしてあげたんだよ」 美咲の思考が一瞬、白く途切れる。 楽にしてあげた? その言葉の意味を理解したくなかったが、目の前の現実は残酷だった。 石場は殺意を持って彼らを殺したのではない。泣き止まない赤子をあやすように、怯える両親を永遠の静寂というゆりかごへ送ったのだ。 それが彼なりの、歪んだ救済──「エミリアにも、同じことをしたの?」 リサ

  • 失われた二つの旋律   永遠の眠り ①

     指先から伝わる木の冷たさが、これから目にする光景の温度を予感させる。──ギィィ…… 軋む音とともに、扉がわずかに隙間をつくり、闇がゆっくりと裂けていく。 そこに広がっていたのは、戦慄するほどの惨状でも、血の海でもなかった。 奇妙なほど穏やかで、静謐な光景──「あっ……」 美咲の口から、吐息のような声が漏れた。 部屋の中央に置かれた大きなダブルベッド。 そこに、二人の人物が横たわっていた。 一人は佐和子。もう一人は、おそらく──この人が石場の父…… 二人は白のシーツに包まれ、肩まで丁寧に羽毛布団を掛けられて並べられている。 まるで眠っているだけのように、息づかいすら感じさせない静けさで── 枕の位置も、布団の襟元も、几帳面なほど整えられていた。 常夜灯の淡いオレンジ色の光が、二人の顔を優しく照らしている。 父と思しき男の顔からは、石場の妹が語っていた威圧感や険しさの影が消えていた。母の顔からも、長年の苦労が刻んだ皺が薄らいで見える。 二人は長い旅の果てにようやく辿り着いた安らぎの宿で、深い眠りへと沈んでいるようだった。 部屋には倒れた家具がなく、争いの痕跡は見当たらない。ただ、圧倒的な静けさだけが満ちている。「よかった……」 美咲が、へなへなと崩れ落ちそうになるのを堪えて囁いた。安堵の涙が瞳に滲む。「寝ているだけみたいね」 美咲が、すがるような響きを含んだ声で囁いた。 石場は、ただ両親を休ませたかっただけだったのだ。 美咲は胸を撫で下ろし、ベッドへ歩み寄ろうとした。 だが、リサは動かなかった。 入り口で立ち尽くしたまま、ベッド上の二人を見据えている。「美咲、ちょっと待って」 リサの張りつめた声が、美咲の足を止めた。 美咲が振り返る。「リサ?」「……静かすぎない?」 リサの言葉に胸がざわつく。 だが夜であれば、静まり返っていてもおかしくはないはず…… いや、そうじゃない。 美咲も違和感に気づき、ベッド上の二人を見据えた。 二人の胸が上下していない。 寝息ひとつ立てていないのではないかと思えるほどに…… まるで、そこだけ時間が凍りついたかのような、完全なる静止画。 美咲が口元を両手で覆い、よろめくように後ずさる。「嘘……どうして……」 二人に外傷はない。首を絞められた痕も、争った形跡も…… 

  • 失われた二つの旋律   静寂の館 ③

     リサと美咲は廊下の奥へと進んだ。 一階のリビングルーム── ドアは開け放たれ、暗闇がぽっかりと口を開けている。 リサは懐中電灯の光を横薙ぎに走らせた。 広い部屋には革張りのソファとローテーブルが置かれているだけで、そこには誰もいない。テレビの黒い画面は沈黙を映し返し、主人を失った家具たちが長い影を床へ落としているだけだった。 ダイニング、キッチン、バスルーム── 二人は一階の部屋を順に確かめていったが、どこも同じだった。 物音一つしない。空気が止まっているかのような静けさだけが漂っている。 まるで、この家の住人が跡形もなく消えてしまったかのように……「下にはいないようね……」 リサの視線がホールの中央にある階段へと吸い寄せられた。 闇に沈む二階── その踊り場の奥から、微かな光が漏れているのが見えた。 美咲もそれに気づき、息を呑む。 頼りなく揺れるその光は、暗闇の中でひっそりと脈打ちながら、見る者の注意を静かに引き寄せてくるようだった。 リサは銃を構えるように懐中電灯を握り直し、そっと階段の一段目へと足をかける。 ギッ…… 古びた木板が重みに耐えかねて悲鳴のような音を立てた。その小さな音が静まり返った家の中で不釣り合いなほど大きく響く。 美咲が思わずリサの服の裾をつまんだ。 その震える指先が、彼女の緊張を雄弁に伝えている。 リサは一度足を止め、上の様子を伺った。 反応はない。誰も出てこない。 二階から漏れるあの揺らぐ光は、相変わらず弱々しく脈打ちながら、暗闇の奥へと二人を誘うように瞬いていた。 手すりに触れると、指先に埃がついた。清掃が行き届いているように見えて、やはりこの家はどこか死んでいる。 二階の廊下に辿り着くと、光の出所がはっきりした。 廊下の突き当たりにある部屋──主寝室だ。 その重厚なドアが、わずかに指一本分ほど開いている。 そこから漏れるオレンジ色の常夜灯の明かりが、暗い廊下に一本の線を引いていた。 リサは振り返らずに、小さく囁く。「大丈夫。ゆっくり行くから」 そう言い聞かせるように、もう一段、また一段と足を運ぶ。 二階の踊り場が近づくにつれ、光の揺らぎがわずかに強くなった気がした。 まるで、誰かがその向こうで動いたかのように…… リサの心臓が早鐘を打つ。 あそこにいる。 石場も、

  • 失われた二つの旋律   静寂の館 ②

    「石場さん、いらっしゃいますか?」 リサの鋭い呼び声が、高い天井の玄関ホールに反響する。 だが、返ってきたのは沈黙だけだった。 空気はひどく冷え、どこか淀んでいる。 人の気配がまるで感じられず、ここが本当に、つい先ほどまで誰かが暮らしていた家なのか疑わしくなるほどだった。 まるで、何年も前に時間が止まった廃屋へ足を踏み入れたかのような感覚── リサは無意識に拳を握りしめた。 石場本人か、あるいはその両親のどちらかが危険な状態にある可能性は十分にある。だが、それと同時に、この家のどこかに危険そのものが潜んでいる可能性も否定できない。──行かなければならない。 それは頭では分かっている。けれど、敷居の向こうに広がる静寂は、“これ以上、足を踏み入れるな”と告げる見えない壁のようだった。 胸の奥がざわつき、足がわずかにすくむ。 一歩踏み出すだけのことが、どうしてこんなにも重いのか…… そんな自分への苛立ちと、正体の見えない恐怖が入り混じる。 もし中で何かが起きていたら── 今まさに誰かが助けを求めているのかもしれない。この沈黙は、ただの静けさではなく異変の証なのかもしれないのだ。 リサは玄関へ視線を戻した。 退路は確保できている。 何かあれば美咲を連れて外へ飛び出せるだろう。 リサは小さく息を吐き、決意を固めた。 リサはポケットから小型の懐中電灯を取り出し、スイッチを入れた。 光の先に何が潜んでいるのか、確かめる覚悟を固めようとするかのように、光の先端をゆっくりと暗闇の奥へと向ける。 揺れた光の輪が壁を滑り、掛けられた風景画の影がゆっくりと伸びていく。 その歪んだ影が、静まり返った空間の不穏さをいっそう際立たせた。 磨き上げられたフローリングの床、壁に掛けられた古風な風景画、そして二階へと続く優美な曲線を描く階段── すべてが整然としていて、荒らされた形跡は見当たらない。それがかえって不気味でもある。 リサが一歩踏み出し、家の中へ足を入れようとしたその瞬間、美咲が足元を指差して囁いた。「リサ、見て……。靴がある」 上がり框の手前に、革靴が一足だけ揃えて置かれている。 石場の両親が履くような靴ではない。石場のものだろう。「ご両親のは……?」 美咲が不安げに周囲を見渡した。 他の靴は見当たらない。 靴のまま奥へ連れ

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